青い目の人形

   

 

 

1 はじめに 

 今から78年前の昭和2(1927)年のひな祭に、アメリカ合衆国の子どもたちから日本の子どもたちに人形が贈られました。当時、アメリカ合衆国と日本の関係が悪くなってきたことを心配した宣教師のギューリック氏が、日本に人形を送ろうと全米に呼びかけたことがはじまりでした。氏は長年日本で暮らし、大の親日家でした。それにこたえて12,739体の人形が集まり、日本のひな祭りに合わせで全国の小学校や幼稚園に送られました。

 

 当時の日本では、西洋人形は大変珍しく、野ロ雨情の「青い目の人形」という童謡が流行したことに相まって、各地で盛大な歓迎会や人形を囲んだひな祭りが行われました。

 

 「世界の平和は子どもから」をスローガンに集められた人形は「友情人形」と呼ばれ、日本とアメリカ合衆国との友好の象徴・平和の架け橋として両国の人々たちの間に広がっていきました。

 

青い目の人形を受け取った日本の各学校は、返礼の品を送りたいとして、一人一銭の寄付を募り、当時の金額で一体約350円(人形150円、衣装150円、持ち物50円)の市松人形が答礼人形として58体アメリカへ贈られました。

 

 ところが、昭和16(1941)年、日本はアメリカ合衆国との戦争を始め、日本国内での青い目の人形は次第に不安定な立場へと追い込まれました。友情交流のために来日した青い目の人形は敵性視され、その多くが処分され、終戦後、青い目の人形は人々の記憶の中から忘れ去られてしまいました。

 

 戦後の復興から高度経済成長へと人々の暮らしにもゆとりが出始めた昭和48(1973)年、群馬県東小学校で青い目の人形が突然姿を現しました。それはかつての教諭が密かに保管していた人形でした。このエピソードはNHKで「人形使節メリー」として放映されました。

 

このことがきっかけとなり各地で人形が見つかり始めました。そして、各地で「人形を守る会」などが発足し、青い目の人形の調査・研究が進められてきました。現在、全国で322体が確認され、神奈川県内では12体が確認されています。


 


 

2 大山小学校の人形「ルース・ジェン」について 

 

 S62.9 

 大山小学校の卒業生、和田美智子氏(旧姓大津、厚木市在住)が手紙を書いたことに始まる。

・6年生の時に、名前はルース・ジェンと言う名前の人形が贈られた。

・その時の人形の挨拶の言葉は、「私の名前はルース・ジェンと申しまして、アメリカのプリンガー・ジオワーというところに生まれました。今度、美しい桜の花の咲く日本の優しいお友達と仲良くしたいと皆の代表で参りました。広いお船に乗って、今度この大山の学校へみんなで待っていてくれる優しいお友達に迎えられてきました。パパ・ママと別れてさみしいですけれど、どうぞみなさま仲良くしてください。

・答礼人形の神奈子さんの壮行会が松田の小学校であった。

 H13.3 

 石田小学校で、「雛人形展」を開催し、大山小学校の「古い人形」も一緒に展示。

*当時の石田小学校の牧校長からこの人形は「青い目の人形」ではないかとの指摘を受ける。

(S63.2.27朝日新聞より)。

*この頃は、教育委員会では「青い目の人形」については情報を持ち合わせていなかった。

 H13.9 

 横浜人形の家で人形について調査。

 

 <調査の結果>

・人形の背の部分にモリムラ・ドールの刻印があり、モリムラ・ブラザーズ製のビスクド-ル(磁器製)である。

 

・現衣装は新しいが、オリジナルの下着、ワンピースが現存している。木箱に納められ「大山校」の焼き印がある。


・青い目の人形であるならば、特製のパスポート、アメリカの子どもの手紙、切符などを携帯しているのだが、見つかっていない。学校誌、沿革誌などの記載が認められない。・和田氏の証言から青い目の人形の可能性は高いと思われる。人形の名前も「ルース・ジェン」、挨拶文もはっきりと記憶されている。

 

・青い目の人形はコンポジション・ドール(パルプ、おが屑などを合成して作ったもの)が主流でビスク・ドールは数体しか確認されていない。モリムラ・ブラザーズ製の人形は大正6年から大正10年までの4年間だけ外国向けに作った人形であった。

 

*今後は、学校関係の情報を複数整えることと、複数の証言が得られることが重要である。

 H13.11 

 文化財保護強調週間関連事業の「市教育委員会所蔵の文化財展示」で浮世絵などと一緒に展示をし、ポスターを作成して市民に情報を呼びかけた。

*イセハラタイムス、タウンニュースで、情報提供を呼びかける。また、当時の大山小学校米山校長が地元に情報提供を呼びかけたが、新たな情報は得られなかった。 

 H16,10 

 日米教職員交流研修会で、アメリカの先生20名ほどが伊勢原に視察に来られ、大山に行く途中でこの人形を見学した。

 H17.3 

 研修参加者の一人がアメリカのボイシー市で、「ひな祭り」が開催され、そこで参加して いたミス岐阜の会の魚次氏に大山小学校の人形について調べてほしい旨の依頼をした。

 H17.3 

 みやぎ「青い目の人形」を調査する会の雫石氏から、4月に人形の調査をしたい旨の依頼があった。

 H17.4 

 青い目の人形研究の第一人者である武田英子氏とミス岐阜の会の魚次氏が調査のために大山小学校にきた。同日、みやぎ「青い目の人形」を調査する会の雫石氏から県立図書館で昭和2年の大山小学校同窓会会報を発見し、その中に「アメリカのお人形さん」の記事が届いた。

 

<調査の結果>

 人形の状態は極めて良く、当時の関係者の証言、学校誌にも記載されていることから、 「青い目の人形」に間違いない。また、日本製の逆輸入された例としては他には確認されておらず、大変貴重なものであることが分かった。

 H17.8 

 「第19回 平和のつどい」で武田先生の講演と「青い目の人形」の展示を実施する。

 H30.10.23 

 伊勢原市文化財保護条例の規定により伊勢原市文化財に登録される。

 

 

更新日:2023年08月18日 12:08:37